里山部-satoyama-活動(東鷹栖)

小さな森の山主が始めた個人事業ブログ

白老遠征① 気持ち。

しみずです。

 

お久しぶりです。

12月からの白老キコリ遠征今日で終わりました。

たくさん、たくさん思ったことがあって何を書こうか。

まずは気持ちかな。

 

こういったら語弊はあるかもしれないが、1本の木を伐る時、「木の命を奪っていきる林業、はたまた何とも思わない」か、「必要だから森の恵みを頂くというアイヌの精神」と思うか。

 

今まで見てきた世界は、圧倒的な物量の丸太を前に、やはり、林業というイメージが強かった。

 

僕にとっては、こんな本格的なチームでの作業は初めてだった。

1本の木に対して、人が様々に効率よく動く。

木と対峙するには体力やパワー、刃物を研ぐ技術、危険回避する能力、諦めず、継続していく力が、メンバー全員に同じように必要だった。

 

「一次産業は人の3倍働かないといけない」最後に社長が言ってた言葉が身に染みた。

1人の人間が1倍力で、対峙できるスケールじゃないんだ、木、1本って。

 

 

 

僕のイメージだが、ほぼほぼ仕事で「人手不足」といわれている社会で、あえて林業を選ぶという選択肢はなくて当然だと思う。

 

日常的に死と隣り合わせ(大袈裟かな、でも死亡事故はなくならない)し、怪我の程度も大きいものばかり、山という過酷な環境に身を置き、体力の限り肉体労働をする。

給料は会社によってさまざまだけど、それこそ、一般事務と同じような金額だったら安全なそちらを選ぶ。

というか、パソコンやってる人のほうが現場で働いている人以上もらっているとしたら、お金の面だけ考えると、こんな状況に身を置かれてたら「やってられっか」ってなるのは普通。

 

そして、山は、、、皆伐だったらはげ山になってしまう。自分たちがそこの山を壊したんだ。植えればいいとかそういう問題じゃない。またそこが山になるまで長い年月がかかるし、そもそも、植えなくたって継続して山はあり続けることができる。のに伐るしかない時もある。

地域の人たちは景観に無関心なわけじゃない。

・・・過酷な現場で、かつ精神的にもそんな責任を負って仕事をする。

 

このままで、ワカモノが、林業に、集うだろうか。

 

別にこなくても、高性能な林業機械は、慣れれば誰でも操作して一定以上の効率があげられるから、若者じゃなくても、構わないような気もする。

 

 

 

だけども、来たがる(林業やりたがる)人がここにはいた。

これは自伐のスタイルに若者が賛同しているからだと思う。

 

たくさん、効率よい作業ノウハウを学んで、僕も「林業」ができると確信した。

でも、やっぱりなんか、まだ、里山部のスタイルは通し抜きたい気もある。

 

今日、東京からきてまだ数か月の人が初めて伐倒した。

「木の命をもらうっていう感覚がわかった。これは責任と、材を無駄にしちゃいけないという気持ちが強く伝わった」と言っていた。

量をこなし、ベテランになればなるほど、たぶん、忘れて行く気持ちだろう。

 

僕はその気持ちを常に持ち続けてきた。僕は人より多くの命を奪っていきている。木を殺し、ネズミを殺し、コウモリを殺し、普段の食べ物は人並みだ。人より多くの生き物を手かげているのは事実。だから忘れちゃいけない。

 

まだこの気持ちは貫き通したい。

林業だ、仕事だからと割り切ることなく、そこは明確な意思を持って、誰に売るかわからない伐採はしない、自分の気持ちに反する伐採はしない。材を無駄なく使う。ストーリーを消費者に伝え、一緒に森と成長する。切り株に会いに行けるような森を維持しておく。

里山部の行為が良いか悪いかは、残された森と地域が決めてくれるはず。地域に森があり続け、必要な資源として有効に使われることで、森は本質的な地域資源だと、人々が気づくまで。

いや、僕の財力が尽きるのが先か(笑)

 

たぶん、森で仕事したいワカモノたちは、物量で稼ぐことよりも、こっち(自分の生き方の豊かさと、木の価値観の再認識)を意識している人が多いと思う。

だから里山部にもたくさんの人たちが集まってきてくれた。

 

小規模だからこそのキコリスタイル、もう少し続けたいなって思う。

そしてこの自伐のスタイルを上川管内でも実施していきたいと強く思っている。

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