里山部-satoyama-活動(東鷹栖)

小さな森の山主が始めた個人事業ブログ

山に1歩、踏み込むときの意識

しみずです。

 

僕は最近、山に1歩入る時、特に道をつける時ですね。

いつもこう思うんです。

 

「まずは林業(山で木を使って食えるようにする)ができるようにする。この森と、この木のファンを増やす。遊ぶのはそのあと」

 

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ピップなカバ林 作業道開始

 これは、いろんな国や道や民間の、森林を利用した、ダメな空間施設を見てきて思ったことでもあります。

簡単にいうと、

 

 飽きたら、ぽい。

 稼げないから、ぽい。

みたいな。なんでこんなお金投資して、こんな森しかできなかったんだよ。ってところ地域にぼちぼちあります。

森の自然力がまだあれば、ぽい、されても復活しますが、そもそもその思考が好きではない。 

 

森を一度いじっておいて、こうなっては無責任極まりない。

 

 

だから、森と人を育成し、地域の資源力を高めるために山守という存在が必要だ。森にそいつがいるだけで、森と、地域と、実は子どもたちにも、有益になる。

たとえ、山を利用しに来た人が、なんらかの理由でその森を見捨てたとしてもそ、山守によってずっと育て、磨き上げられていく。つまり、利用客がいなくなっても、森はダメにならないということだ。木は、絶対に人類が必要とする物資であるから、大きくたくましく育てていることは、それだけその利益が増える。ここに意識のベースを置く。

 

 

コロナの影響で分かったと思うが、観光客が来なくなったら危うい現実。

木の寿命を全うすることに対して阻害すること、うまくは言えないが、無責任に山の林産物を奪取すること、木に傷をつけたこと、その木を伐りひらいて作った空間に対して、きちんと、未来まで責任を負える覚悟があってのことだろうか。

木は、だいたいが、1人の一生より長生きする。

今そこで遊び消費した木材、踏み固めた林床、伐採してしまった大木、穴をあけた木、締め付けた木・・・

人がその一生を終わらせたあと、その森はどうなるのか。

 

ここを開拓した以上、どう地域を豊かにするのか、地域に傷をつけた今、どう何百年先までこの思いを伝承できるのか、形として残していくことができるのか。

 

 

今の時代のように「山は持っているけどお金にならんしなぁ」といって、過去の開拓を見なかったことにするのか。

森は、その人の命が終わったあとも、生き続ける。

地域に生まれた新しい命が目にする光景は、その人の感性と、使命で、出来上がるんだ。そこの風景は。誇れる故郷の風景は。

 だから、誰かがその森の、その木のファンを増やす必要性がある。

それは率先して地域の大地に傷をつけていく山守だ。

 

 

いろんな木こりがいる今。

様々な使命感があふれ、山を守るという意味もたくさんあるが、僕は、地域の故郷の景観をより素敵なものにしたいし、何より、世界最強の強い道産材を生み出すことだ。

 

「あいつが山に入ると安心する」そんなキコリでありたい。

 

 

これから山を使う人、買う人、覚悟をした人に、これは言っておきたい。

「未来を考えた利用と保全をしてほしい。山で金もうけしたいなんて、自分の代なんて、たかが知れているんだから。そこだけではない目線で、きちんと、世界に誇れる山の使い方を意識してほしい。」

山の本質ってなんだろうをずっと意識して入ると、自分が豊かになっていきます。

 

 

 

ここは世界に誇れる樹木の優良育成大国。北海道ですよ。