千葉シリーズ6 ラスト。その後の山との関わり方。
しみずです。
冬の出来事を今になり書く次第。
これで千葉シリーズは最後になります。
今回時間なくて、まとまりのない文章になってしまいました。ああ、すいません。まぁいつもそうですが、とりわけ今回は(笑)
僕は常に「皆伐してる場合じゃねぇ」って言ってます。皆伐にメリットが何もないからです。持続すらしないので、皆伐して植えるこの林業の仕組みを持続と言わないでほしいと思うくらいです。どこが持続しているのか。それは森が消えた悲しみと、無関心の持続です。
あと「昔はこんな大木を伐ったという自慢」は僕にしないでください。憎しみしか生まれません(笑)。なんで残さなかったの?こっちの時代にも引き継いでよ!それ寿命来てたの?伐ったやつどこにいったの?大木伐りすぎたから、いまこんなしょぼいサイズしかないんじゃないの?ほんとにそれって自慢になるの?それ聞いた子どもたちに未来は感じられるの?ってすごい問い詰めたくなるので、僕にこうした話はしないでください(笑)自慢でなくても。林業が闇すぎて、僕もだいぶ拗れてきてますからね。
もうね、デザインのために大木伐るのやめよ。今ある里山の木のサイズから暮らしのモノや仕方を考えていく時代だよ。ないものねだりやめよ。
さて、千葉のこの香取市の現場も台風被害でメタメタにされました。
人工林って、やっぱり最後まで人間がお世話をしないといけないなと感じます。まぁこれは
木があったからとりあえずこれで済んだという逆の考えもできます。
★ついでに、外れた話をさせてください。
今まさに大規模な土砂の被害がありところがありますね。
原因をニュースでは「異常気象」だの「自然災害」だの。
「お前らも林野庁か!!」って突っ込みたくなりますよ。
たくさん木を伐ったり、大きな重機を入れるために、10m近い幅広い林道を作ったり、そんなことしたら山は崩れるって未だに理解できないのかなぁ。
NPO法人自伐型林業協議会代表の中嶋氏のFacebookより全部転載します。↓
2021年7月5日の投稿より。
すいません。全部転載しました。
全部を読んでほしい内容だったからです。
そして、どうして千葉で僕が呼ばれたか。どうして自伐のノウハウが必要だったか。ここまで書けばお判りでしょう。
こういう事態を起こさないのが僕らが提案し実行している環境保全型林業なのです。
もう、こんな悲しい自然破壊遊びはやめましょう。
もう、「山は儲からないから」という理由で無関心になるのはやめましょう。次を生きる世代がその地域で生きていくことを山主はお忘れでしょうか。
山は、個人の一時の楽しみで大きく変化させてはいけません。
★話を戻して。
僕らが習っている森林作業道幅(2.5m幅)は、奈良県吉野の250年生の大木を育て上げた実績がある山の道です。大橋先生から、岡橋先生へ、そして次の若者たちへと、昔から実践と考察を繰り返し「山を崩さない」ノウハウがたくさん詰まった手法や目線が多く学べます。
これらの作業道があれば、山の木が必要な時にだけ山に入ることができます。早くたくさん伐らなくても良いという余裕が生まれます。
余裕があるということは、暮らしの中で山仕事が、「急ぎの仕事」にならなくてもよいということです。
(栗源第一薪炭供給所はそもそも林業が本業ではないので、こうした余裕が山との関係を悪化させていないのかなと僕は思っております。
簡素な補足で誤解を生むかもしれませんが。
「自伐」は主に自分でほかの方の山借りて、もしくは自分で所有した山の木を伐りだします。
「他」は道有林、町有林や村有林、市有林、国有林、もちろん誰かの山(民有林)も借りて木を伐りだします。
違うのは、その木こりが山に継続的にかかわる時間と意識の違い。
自伐は、それこそ真の意味で山から木がなくならない、壊れない手法を用いて、持続可能な林業をするべく、地域の山に密着します。自分の山の木がみるみる無くなっていくのを見ると悲しみしかありません。そうならないように、木をみて、ビジョンを明確にもって、山の付加価値を高めていきます。
他は、国や道からの委託や入札などでその補助金メニューにあった施業をあちこちで展開していきます。いわゆるエスデージーズの林業ですわ。いかに短い時間で効率よく木を伐っていくか。伐ったら次の山を探して、、、。
だから装備も、意識も変わってくるのは当然なんですが、、、!が!!しかし、忘れちゃいけないのは、林業って、地域にすごい傷跡を残す産業なんですよね。
目に見えて資源が減っている、良くなっている、ダメになっている、っていうのがわかるんですよ。
山で生きていくことを考えたら、山が健全であるべきで、山を食いつぶしていきながら施業をするスタイルはやっぱり自分で自分の首を絞めているとしか思えません。
★道が付き、木を安全に伐りだし、伐りすぎず空間を維持しながら残された木を育て、木の売り先はローカルなニーズに対応できるように、そして自分が損をしないような価格で売る、木がモノになるまでのストーリーも商品価値にしていく。使った人がどこの誰の木かわかるような、「あなたの木を使っていきたい」と思えるような山づくりを木こりはしていく必要がある。
いろんな人と出会ってきたが、それができるのはやっぱり意識のある素人さん。
高性能な機械はいらない、保全と利活用の意識をもち、必要なスキルをもった人間と、地域に対する愛がある人が、素晴らしい林業を展開していくことができると信じているし、今まで僕の周りの人たちがそうやって展開しているのに喜びを感じる。
何度も言いますが、木材も山や施業方法から選択する時代に来ているんです。
木がないと生きていけない人間だからこそ、山を大切に使っていきましょうや!そうやって自然に生かされていくんですよ!