里山部-satoyama-活動(東鷹栖)

小さな森の山主が始めた個人事業ブログ

当麻町の森を皆伐し、ソーラーパネルが5000枚以上設置される件について

「中央6区7にメガソーラーはいらないの会」を応援します。

 

ひとまず、この会の文章を引用いたします。

 

当麻町中央6区7に建設が強行されようとしている5160枚のソーラーパネル

8月8日、エネア・リニューアブルエナジー・マネジメント株式会社は当麻町中央6区7住民に対し2回目の説明会を開催した。エネアリの言い分は、事業の展開はなんら法律に違反していない。法治国家のもとメガソーラーを建てるも、飲食店を建てるのも自由である。想定外の災害が起きてソーラーが環境に悪影響を与えてた場合、対応すべきは国でありエネアリの責任はない、また景観の破壊についてもそれは主観にすぎず、対応する必要がないと言い放った。法を盾に正当性を主張し住民の心情に対する歩みよりがひとかけらもないその姿勢に深い憤りを覚える。

我が国では設置業者は国の法律に守られているが周辺住民には異議を申し立てる法的な権利がひとつもないということを再確認する説明会であった。しかしこれは想定内であるので引き続き反対の声を広めていく準備をしている。

 

引用終わり。

 

この会の反対理由は、

  • 大雨の際、農業用水として利用されている清水川へ土砂が流出する恐れがある。
  • 森林伐採による防風効果の損失、風向き、気温の変化が稲作に悪影響を与える恐れ。
  • 清水川の氾濫でパネルが水没した場合、自然発火などによる災害の恐れ。
  • 景観の完全な破壊により生活環境が悪化、さらには地域の魅力の低下を招く。
  • パネルが反射する太陽光が、交通事故の誘発や農作業に支障をきたす恐れがある
  • 森林伐採による環境変化により、動植物の生態系に悪影響を招く恐れがある。
  • 設置、発電送電、メンテナンス、耐用年数を過ぎたパネルの撤去は一貫した企業が受けもつのではなく、それぞれに全く異なった事業者が行うことが明言されている。責任が分散し、何十年にわたる運営が正常に行われるのか不透明なまま、地域住民は不安を抱え過ごさなければならない。

 

以上が理由である。

 

僕はこの規模の設置は、反対と考える人間です。

そして僕の意見を述べます。

 

 

  • 相手は金をかけて自然を壊しにきている。こちらもお金をかけて自然を守る手段を設けていくべき。

→これは、「また景観の破壊についてもそれは主観にすぎず」という部分に対して、きちんとこのエリアの動植物・菌類、近郊の河川の魚類、水棲昆虫などの自然生態系の調査をして、きちんと「主観ではないこと」を証明していくことがここをつぶせる理由になると考えます。

例えば、この近郊の河川でヤマベが生息していたら、サクラマスの遡上がある環境になる。また、樹齢100年以上の大木があれば、それは母樹となる存在になる。希少(絶滅危惧種など)の動植物、新種の発見があればこのエリアは保護すべき環境となり、主観ではないことの証明になる。別に希少種がいなくとも、多種多様な生物環境が成り立っていることを証明すれば、ここをソーラーパネルの設置による単調な環境にすることにはより考慮すべき案件となる。

   ここはクラウドファンディングなどを通じて、調査費用を補填して、データに基づいた結果を出していくことがチカラになれると考えます。

 

  • 士別市の渡辺英次市長が、太陽光パネルなどのいわゆる「再エネ」についての問題・課題を書き留めまた、Facebookの記事があります。

2024年6月19日の投稿になります。

https://www.facebook.com/photo/?fbid=7846181232136070&set=pcb.7846183882135805

 

僕はこれを高校生などに紹介しました。

全然、まったく、こんなメリット、デメリットを道民が考える機会や時間が足りてないのが問題なのです。廃棄に関する課題も非常にわかりやすくあります。

絶対に見ていただきたい市長のプレゼンです。

 

  • よくわかる土中環境、高田宏臣著者、の参照になります。

「真夏のパネルの上で上昇気流が発生。千葉県勝浦市の事例。パネルの表面温度は夏には80度にも達し、急激な上昇気流を起こす。ゲリラ豪雨の増加、線状降水帯の発生に繋がる可能性」

たかだか20年間の電力を得るために、森を伐り、山を削ることのどこが持続可能なのか。

 

  • 地域の雇用、林業の衰退を促進。これは僕の意見です。放置された山林ほど宝の山です。なので僕の林業のように環境保全に特化した小規模林業が、地域に雇用を生み、地域の自然環境を豊かにさせつつ、未整備林の整備活用によりさらなる故郷への故郷愛をはぐくみます。未整備林ほど、可能性があり、その過程で様々な人とのつながり、それによる仕事の発生へと繋がります。一辺倒に自然を略奪するようなやり方ではないので、地域には自然が残りつつ育みながら、コミュニティも拡張されていきます。それができる場所が、今現在の未整備林、田舎の一度見捨てられた森林にあります。

 

★これは僕の怒りですが、森や山を所有する人が「お金だけでその土地を考える」ことが今非常に由々しき問題だと感じています。

 山主であるあなたは、地域の故郷の景観、自然環境を担っており、ハンコ一つで地球を、北海道をどうにでもできる存在なのです。

 その自然環境を背負う責任をきちんと考えていますか。責任を背負っていますか。どうしてお金だけで考えますか。

 その後の地域の発展、故郷の発展を考えて、「今が良ければいい」んですか。

 

僕はそのような山主には怒りを覚えます。いったん僕が教育しなければいけないと、それが日本の課題であるとも感じています。興味がない、自分が出来ないという理由で、お金でその土地を売らないでほしい。

僕の周りでは、森を良くしたい、育てたい、自分も森で生きたいそうしたやる気がある若手がたくさんいます。どうしてそういう人たちにバトンタッチしないのでしょうか。マッチングの課題はあります。でも今の山主の考え方が短絡的すぎることに非常に怒りを覚えます。

 

 いま僕は山主に怒りを示しましたが、山主じゃない人たち、つまり地域で生きる人たちにも怒っています。

 

 自然はたくさんあると思っていませんか。

 毎日身近に見ているから特に問題ない。森が無いとどんなことがあるか想像できない。木ならなんでもいいと思っている。木を使うことが環境にやさしいと思っている。とにかく自分の暮らしに無関係に思っている人たちが多いと感じます。

 

 日本は忙しい日々を送る社会にしました。

 いろんな、大切なことを考える余裕・余白を奪い去った社会が今だと僕は強く感じます。

大切なことは考えなくていい、そんな雰囲気があります。

 

 

 林業は、森をいじるとどうなるか。僕たちは、森から始まる暮らしを享受しているのです。森がおかしくなると僕らの暮らしもおかしくなります。

 森林木々が土を豊かにし、水を調整し、生物多様性を生み出し、健全だからこ僕らの衣食住が確立されています。

 

 北海道規模、地球規模でみたら5000枚の開発は、ミクロのミクロ。なんも関係ないと思いますよね。でもこのミクロのミクロを大切にしていき、大切にされたミクロの集合体が今の北海道を、当麻町を、育てているのですから、小さいことから大切にしなければいけないのは明確です。

 

 

 

  • 人と森を繋ぐ必要が絶対にいま必要です。

なぜ僕がここまで熱くなるのか。

僕は突哨山の初代指定管理者です。もろもろ省きますが、この山がゴルフ場になることを、地域の農家さんたちが反対しました。そして反対運動が実り、旭川市比布町都市公園になりました。

 都市公園を管理する手法として指定管理という方法がとられ、いまもなお続いています。今やこの公園の管理に700万円以上の費用がかけられています。

僕が当初の時は200万円くらいでした。(笑)月10万円の給料でした。

 

 これ、一つの自然を守ったことで、どれだけ人の輪と、考え方の多様性が広がったか。ここを起点に、お金と自然を考えるきっかけの一つになったことは間違いないです。

 

 どちらも大事なんです。

 だからこそ、お金も生活も、森も自然環境もどちらも考えて決められるような人たちを生み出す必要があって、それを生み出せる人って、「森と人を繋ぐ人」なんです。

 だから僕が存在しているのです。

 

 

 最後になりますが、当麻町は、食育、木育、花育のまちです。とりわけ、木育に関しては「あれも木育、これも木育」という木育マイスターのテーマを掲げて、樹木がどれだけ人間の生活に関係しているかを提唱しています。

 あれもこれも木育としたら、ソーラーパネルも木育になるのでしょうか。なるのでしたら、全力でしっかりと町長の口から、説明をいただきたいです。

 木育を掲げている町だからこそ、議論を発展させて、「ほぼソーラーパネルが設置されることを前提」として話すのではなく、立ち止まって何ができるかをもっと多くの地域を麻見込みながら進めていくべきだと感じます。

 

 個人的な意見ですが、現在の強行的なソーラーパネルの設置のやり方を進めて、町は関与しないという空気を維持するなら、僕は当麻町の木育はその程度だと思ってしまいます。

 木育って、すごい多義にわたる議論の場が生まれてこそだと思っています。一つひとつを地域住民に投げかけ、じっくり審議するその余白と余裕があっていいと思います。

 自然を壊したらもとに戻りません。木を伐ったらおなじ木は二度と生えてきません。つまりもっと自然を開発するときは、この自然界のスピードに寄り添った議論が大切だと考えます。

 

 

僕は旭川市民ですが、北海道民です。

北海道がお金によって、自然を知らない大人たちに侵略、略奪をされていくことに憤りを感じます。

 北海道が理不尽な開発をされないことを強く願っています。

 

 いち木こりが出来ることは微々たることですが、いち木こりが言わないと、大きな声にならないことも確かです。

 

 絶対におかしいことは、抗っていく。

突哨山を守ってきた、僕の素晴らしい先輩たちの想いや魂は絶対に無くさない。

僕にできることをしていく。できることを増やすためにこうして、技術やチカラを蓄えているんだ。

 

 自分事として考えるのは難しいと思っています。百も承知。

でも黙ったことで、流されて、それで後悔したくないよね。

 

 

皆さんもここに5000枚以上のパネルが必要な理由、反対する理由、考えてみて欲しいな。

いま激動な時代だけど、僕らがその激動に乗る必要なんてないんだよな。