白老遠征2 作業編
しみずです。
まだ森には残雪がありまして、まだ行ってません。
事務作業が沢山あって、まずはこちらを終わらせるのに必死です。看板もつくっています。里山部の森では、シラカバ樹液は15日頃から採れそうです。
さて、白老の山の現場では、主に山に入るチームは、3人でした。
いきなり伐るのではなく、ブルが木材を引っ張る集材路をめぐらせ、土場を作ってからスタートでした。この集材路と土場との距離感や場所が効率を作用します。
また、白老の山は土が30cm程の深さまで凍結するため、表土を軽くさらっただけで、あとは凍るので簡単に、スピーディーに道を付けることができるようです。それでいて固く重機が走っても壊れない。
※ただし暖かくなると土がとけて、ぬかるんで最悪になります。
伐倒と集材が1人(ブルとチェンソー)、土場まで集材された材を造材するのが2人(チェンソーとユンボ、人力)。
伐倒後はブルの後ろにワイヤーで繋げ、ある程度枝払いをしたのち、ほぼ全幹を5~10本(大小様々なサイズ)を1度に引きづって土場まできます。
土場に木材が来たら残りの二人が、樹種と、径、木の状態によって、それぞれサイズにあった最大付加価値が出せるように造材をします(この詳細は、勉強会でも開いたときに紹介します)。1尺や3尺、5尺、時々250cmの銘木など。
だいたいこのサイクルを繰り返しました。
ブルがくる時間間隔はだいたい30~40分のサイクル。
それまでに二人で造材しまくって、材を整理して置いて、目立てしてと次のサイクルに備えます。結構余裕ないです。
ここでは、ホダギが即金になるため、ホダギを1日に大量に作る必要がありました。
現在、著しいホダギ不足があちこちであるようですね。作れば売れる状況です。
しかし、ホダギもきちんとした見方があるんです。不適当な作り方や、材の見方はダメですね。
ある程度のほだぎの本数ができたり、出荷するときなどは、軽トラに積んで山林内を移動しました。林内作業車よりもスピードがでるのと、だいたい150本ちょっと(層積1.6m3ほど)乗るので、俄然ここでは、軽トラが有利でした。
ホダギ以外の材も、普通に軽トラの方がよかったですね。北海道なら林道がちゃんとしていたら、軽トラ集材・搬出でいいかもです。僕はこれでいきます。
結構簡単に紹介しました。
流れはシンプルでかつ、効率よく生産できました。ホダギなら一日で200本~500本。それ以外の丸太は薪用や炭用や用材になるので、結構いい生産量でした。
3人それぞれが、役割を効率よく動かないとどっかで詰まります。
目立てを早くすませないと、待ち時間がでます。
初めての人でもこんだけ一日、玉切りして、目立てしてを繰り返していたので、1カ月くらいで相当な上達をしていました。目立ては完璧。作業も僕より早くなっていたり(笑)
チームの強さってありますね。
さて、今年度の僕は、昨年と一緒で、人力あるのみです(笑)
山の中なら庭木と違って、どんな木でも伐ることができますし、対処もできます。
材を運ぶのは、「漢気」一つです。漢気搬出です。人力でぶんなげるのみ。
手割り、手積み。
まぁ、体が動くうちは、山に挑んでいくだけです。
白老遠征① 気持ち。
しみずです。
お久しぶりです。
12月からの白老キコリ遠征今日で終わりました。
たくさん、たくさん思ったことがあって何を書こうか。
まずは気持ちかな。
こういったら語弊はあるかもしれないが、1本の木を伐る時、「木の命を奪っていきる林業、はたまた何とも思わない」か、「必要だから森の恵みを頂くというアイヌの精神」と思うか。
今まで見てきた世界は、圧倒的な物量の丸太を前に、やはり、林業というイメージが強かった。
僕にとっては、こんな本格的なチームでの作業は初めてだった。
1本の木に対して、人が様々に効率よく動く。
木と対峙するには体力やパワー、刃物を研ぐ技術、危険回避する能力、諦めず、継続していく力が、メンバー全員に同じように必要だった。
「一次産業は人の3倍働かないといけない」最後に社長が言ってた言葉が身に染みた。
1人の人間が1倍力で、対峙できるスケールじゃないんだ、木、1本って。
僕のイメージだが、ほぼほぼ仕事で「人手不足」といわれている社会で、あえて林業を選ぶという選択肢はなくて当然だと思う。
日常的に死と隣り合わせ(大袈裟かな、でも死亡事故はなくならない)し、怪我の程度も大きいものばかり、山という過酷な環境に身を置き、体力の限り肉体労働をする。
給料は会社によってさまざまだけど、それこそ、一般事務と同じような金額だったら安全なそちらを選ぶ。
というか、パソコンやってる人のほうが現場で働いている人以上もらっているとしたら、お金の面だけ考えると、こんな状況に身を置かれてたら「やってられっか」ってなるのは普通。
そして、山は、、、皆伐だったらはげ山になってしまう。自分たちがそこの山を壊したんだ。植えればいいとかそういう問題じゃない。またそこが山になるまで長い年月がかかるし、そもそも、植えなくたって継続して山はあり続けることができる。のに伐るしかない時もある。
地域の人たちは景観に無関心なわけじゃない。
・・・過酷な現場で、かつ精神的にもそんな責任を負って仕事をする。
このままで、ワカモノが、林業に、集うだろうか。
別にこなくても、高性能な林業機械は、慣れれば誰でも操作して一定以上の効率があげられるから、若者じゃなくても、構わないような気もする。
だけども、来たがる(林業やりたがる)人がここにはいた。
これは自伐のスタイルに若者が賛同しているからだと思う。
たくさん、効率よい作業ノウハウを学んで、僕も「林業」ができると確信した。
でも、やっぱりなんか、まだ、里山部のスタイルは通し抜きたい気もある。
今日、東京からきてまだ数か月の人が初めて伐倒した。
「木の命をもらうっていう感覚がわかった。これは責任と、材を無駄にしちゃいけないという気持ちが強く伝わった」と言っていた。
量をこなし、ベテランになればなるほど、たぶん、忘れて行く気持ちだろう。
僕はその気持ちを常に持ち続けてきた。僕は人より多くの命を奪っていきている。木を殺し、ネズミを殺し、コウモリを殺し、普段の食べ物は人並みだ。人より多くの生き物を手かげているのは事実。だから忘れちゃいけない。
まだこの気持ちは貫き通したい。
林業だ、仕事だからと割り切ることなく、そこは明確な意思を持って、誰に売るかわからない伐採はしない、自分の気持ちに反する伐採はしない。材を無駄なく使う。ストーリーを消費者に伝え、一緒に森と成長する。切り株に会いに行けるような森を維持しておく。
里山部の行為が良いか悪いかは、残された森と地域が決めてくれるはず。地域に森があり続け、必要な資源として有効に使われることで、森は本質的な地域資源だと、人々が気づくまで。
いや、僕の財力が尽きるのが先か(笑)
たぶん、森で仕事したいワカモノたちは、物量で稼ぐことよりも、こっち(自分の生き方の豊かさと、木の価値観の再認識)を意識している人が多いと思う。
だから里山部にもたくさんの人たちが集まってきてくれた。
小規模だからこそのキコリスタイル、もう少し続けたいなって思う。
そしてこの自伐のスタイルを上川管内でも実施していきたいと強く思っている。
SKYprojectミニワークショップ「山づくり・家具づくり・地域づくり:家具産地であるために」
しみずです。
本日2月13日、タイトルのWSが開催されました。
過去のブログに、「山主を置いていかない家具づくりもあって欲しい」と書き込んだのが2016年10月11日。里山部 裏の目的 旭川家具 - 里山部-satoyama-活動(東鷹栖)
他力本願ではできないので、自分がやってみるしかなかった。
そして、出会った人と、運が重なって、今日、僕が目指していたものができました。
木を使いたいから、森に来る。
そして、いただく。
地域の森、地域資源を使う。これは、明確に、木の恵みを欲している人がいるから伐れる。
森に対する要求は決して高度ではなかった。
これは遊びじゃない。間伐体験などは今の時代、ざらにある。
これは自伐林業の、旭川の可能性。森の出口。生きるに繋がる。山主のお金になる。
森と山主から始まり、職人の手で木が極り、消費者に満足してもらえる。
残された森と、山主にも幸せなことから始まるモノづくり。
そのためには、木の姿かたち、大きさに見合った価値を十分に引出して使うことが大切。
生木を見抜き、デザインする職人の目と技術も必要。
それは、キコリも職人も、消費者も、一緒に足並みそろえて学んでいくことが大切。
今の時代、「学ぶ」時間も限られていて、大変かもしれない。
でも、消費者の人たちは「どこ産?」「どうして伐られたの?」「その森はどうなったの?」など、気にかけてもらうところからでも、始めてもらえると嬉しい。
木のモノは良い。もちろん。
でも、森を見ないで木を伐っている所だってある。
本当に、「この木のモノは良い」と言い切るには、真実のストーリーをそこに込めていかなければならない。そういった点では、この旭川大学での家具づくりは、半分成功した。
天板になった木のストーリーはわからないから、半分。
極端な話だが、今の旭川を取り囲む森林、広葉樹林で、これは選択肢として可能だと思う。
エネルギー需要としての木材利用も非常に高まっているのだが、小さな山林の山主にとっては、1本伐ったら終わりな世界ゆえに、伐った以上、その木材には、最大限の付加価値がついてほしいのが山主の理想だ。
その後の、加工は大変なのだが、本質的な家具づくりを山主と職人と一緒に森から始めることが可能だと思った。それが欲しかった!という消費者だって出てくるはず。
そんなことをひしひしと感じて、木の可能性を更に強く思ったWSでした。
この一連の工程に全部参加し皆勤賞だった学生もいた。「やっぱり楽しかったから!」と言ってくれた。その後は「山が欲しいなぁ」と、山の魅力が伝わったようだ。僕もなんとかしてやる気のある人に、山を継いでほしいと思っている。
この脚になったミズナラは、学生さんたちに様々な想いを抱かせたみたいだ。
木のものを毎日使って生きている人が、森に来ること、木を伐ることは非日常という矛盾しているような時代。
木を活かす役目は、キコリにあり、職人にあり、使ってこそ活かす消費者であり、やっぱり全員が森を気づかい、利用していくことが、大切なんだって。
コープ「未来の森づくり基金」~自伐に~
しみずです。
こんなに雪がない冬を過ごすのは、十年ちょっとぶりです。・・・快適。
この雪なし生活に慣れると、旭川に戻った時が辛そうです(笑)
今日、コープさっぽろさんより「未来の森づくり基金(活動助成金です)」が「北海道自伐型林業推進協議会」へ贈呈されました。
その贈呈式がありまして、苫小牧の支所のほうへ行ってました。
この資金は、道内の自伐型林業を目指す、個人や団体に、環境共生林業の実現と、生業レベルでの自伐型林業者の創出と、ネットワーク化、就業拡大と持続可能な森林づくりを目指すことを目標に使って行きます。
具体的には春から開催されます、自伐塾でしょう。
地域の森は、地域住民で良くして、儲けて行きましょうよ。
コープさんの助成金はよく「森づくり団体」へ贈呈しているイメージが強かったんですが、こうして、「林業サイド」に主を置く団体にいただけることは、何か時代の流れを感じます。
次のステップが必要なんですよ、特に林業は。
そしてこの基金は、10年目を迎えるということで、特別講演がありました。
講師は草刈健(くさかりたけし)さん
※苫東環境コモンズを設立
http://hayashi-kokoro.com/commons00.html
その中で、林野庁の新たな森林管理システムを紹介していました。ここにそのファイルあります↓
これに関して、中嶋健造さん(自伐型林業推進協議会※こっちは本州、本家のです)が、このシステムについて論じています。オープン記事ですのでどなたでも拝見できるはずです。そちらも参考に。
これ見ると、課題の部分について、山主の意欲低下と、事業を拡大したい意欲があるものの事業地の確保が困難だ。ということが挙げられてます。旭川での課題と一致すると思います。現に僕はその課題解決に向けてやってきているので。
んでどうなるのか。
個人的な解釈で紹介するので間違いがあるかもしれませんので、うのみにしないでね。間違いがあれば、つど直していきますので。
林業の成長産業化と森林資源の適切な管理の両立を図るため、
① 山主なんだから、自分の森ちゃんとして!責任もって!
② 自分で出来ないなら(していないなら?)、委託業者に託すわ。※これ強制的なのかなぁ?
③ お金にならなさそうな森は、市町村が管理するよ(実質その地域の森林組合?)。しかも、山主に対しては対価は0円ですよ。勝手に山いじられて見返り無し。まじかよ。
④ 意欲と能力のある林業経営者の森林管理のための条件整備として路網整備の一層の推進や集中的な高性能林業機械の導入、主伐・再造林の一貫作業システムの普及が必要。
おぃぃ。高性能林業機械いいって。お金にならさそうな森に入れても赤字、なりそうな森だとしてもこの機械入れた時点でプラスになりにくい現状を続け、そのフィールドは、もっと僕たちから見えるような、身近な森でもやりますよ~ってこと。
どんな委託業者がその市町村で登録されるのか。
もし、選択肢が少なかったら(現行林業推進の業者しか登録できなかったら)、山主にとっても泣く泣く委託してしまう現状がくるのかな。
きっとこれ、現行林業やっている作業員で、今も悲しんでる人いると思うのに、ますます悲しいことになるかも。
☆今は更に、森林所有者が不明でも、都道府県知事の裁定手続き等を経て、伐採・造林ができるようにする仕組みを導入(H28森林法改正)されているので、山主がそれをされた後に、「あ、ここ俺の山だったわ、なんで勝手にやったんよ」と言われてもたぶん手遅れに。
もう、山主は、山を持っていることを無視できない現状になりそうです。
だから、これまでに自伐型林業の環境保全型の持続的な林業スタイルができる人が増えていかないと、旭川、終わる。北海道の森として、どうなるんだろうね。
だから、北海道の自伐プレイヤーの増加は必須です。早急ですよ。全部自分が山の管理できなくても、得意分野で集まることもできるし、なんせその応援のためにも自伐協議会があります。
この仕組み、どこまで強制力があるとか、北海道がどこまで力入れてくるとか全然今は、わからないけど、これが近く、適用されるという話も聞きました。
いつも僕はことある事に言ってますが、こうなる以上、山主と業者だけの問題ではありません。
その里山が地域にとって、どんな価値があって、今地域がどんな山の恵み(林産物だけではない、若者、仕事、地域コミュニティー等)が必要なのか、これは消費者も一緒に考えて、僕らみたいな山に関わる人たちに提案して言ってほしいのです。
地域資源を活かそうとするなら、消費者一体じゃないと無理です。こっちもオープンにしていかないと無理です。林業と暮らしがまだまだ、繋がってないもの。
僕が一番やりたくないのが、「誰に売るかもわからない。なんで伐るかもわからない。でも国が決めたから伐るしかない」ということ。
これは「恵みをいただく」ことにならない。ただぶっ壊してるだけですわ。
だから僕も必要なスキルをとるために急ぎます。
伐採や搬出、加工はできます。でもまだユンボを使っての道つけが出来ません。
ですので今年は道つけの修行にも行く予定です。
この道つけは、本州で自伐型林業に推進されている、小型ユンボでつけるモノです。
これが出来れば全部できるオールマイティな林業事業体になります、里山部は。
不適当な道つけならそりゃ誰でもできますが、その後の森に責任をとれません。
そして職人さん、消費者といった出口側の人たちとの繋がりを地域でもっと濃くしないといけません。
この一年で共感していただける市民や職人さんとも出会って、現に林産物を出してきました。もっと多様な、森の出口側の人間と繋がっていかなければなりません。
もっと必要、旭川人なら全員と繋がる勢いで。
最後に、難しい話をしていまったので、草刈さんのお話の中でユニークだった話題を一つ。
森林療法が進んでいる国で、薬を出す代わりに、「〇〇の森を、〇日間、〇km歩きなさい」という処方箋が出るところがあるとのこと(笑)
これ良いですね。間違いないですよ。絶対良い!
お医者さん、里山部の森も、登録しておいてください(笑)
※単身赴任、圧倒的に寂しいです(笑)あぁ、恋しいぜ(笑)
今年は4月からっ!
しみずです。
今年も宜しくお願い致します。
今年の里山部、旭川での活動開始は4月6日からの予定になります。
それまでは白老のほうに出張です。
4月からは、里山部のフィールドを一新していく予定です。
①里山部のフィールドを、「森」と「山」サイドに分けます。
林相はそのままですが、意識の違いによる改良をしようかなと。
「森」と呼ぶと、今までの里山部のような活動で、誰でも気軽に、楽しく何でも活動できる。敷居が低く、柔らかいイメージ。
「山」は厳しく、自伐林業特化、生産を追求するハードなエリア(面積が小さいので、モデル区域程度になりそうです)。
それぞれ、そんな雰囲気を大事にして、いまある林道から東西に真っ二つにわけてみようかと。
相変わらず人力による作業なので、ゆっくりとですが。
②林産物の商品の改定
薪の長さは、38cmの他、30cmの短いタイプの薪も製造します。
また、樹冠にある枝や、シラカバの小割り材による焚きつけのセット。
どうやって掘り出すか未だ未定ですが、「伐根」も売ります。
とりあえず今のところ、林産物だけで12種類を想定しております。
伴い、林産物のWEBページも改装します。
③1Dayバディを募集します。
これも、固まってからWEBサイトに告知しますが、今のところの構成案です。
要は、空いている時間があって、その空いている時間は、森で僕の手伝いしたいという方を募集します。
カレンダーに「この日は〇〇します」バディ募集中。といった表記がある日に限り、森で楽しみましょう。バイト代出せるといいんですけどね、基本的にはぶらりときて、飽きたら帰るスタイルで構いませんのでボランティア感覚になりそうです。
ただ、ちゃんとした仕事がある時は、バイト代も出せるかもしれません。
小屋づくり、薪づくり、道づくり、カシづくり?、子どもとの森遊び、ホダギづくり、各種イベント協力隊など、色々とありそうです。森で体を動かしたい方は是非。
④看板を設置する。
入山口に里山部の看板を設置するのと、既存の看板を作り変えます。
「とりあえずこれでいいや」と、簡素なやつを設置して、なんだか1年くらいそのままだったので、ちゃんとしたのを作ります。
里山部がどこにあるか、少しわかりやすくなりますね。
⑤里山部のご神木を祀る。
フィールドの最奥にそびえる歪なミズナラの大木。宿木(ヤドリギ)も生えてなんかいいオーラを出してます。この木の前に、とりあえず・・・お賽銭箱おこう(笑)
☆四月はあれやるよ!!
樹液飲みまくり会!!まだ日程等は未定ですが4月中頃にやりましょう!
一緒にホダギにキノコの菌を植えましょう。ホダギもめっちゃ作っておこう。
里山キノコ!そんで5月は拡張した森の畑仕事。今年何植えようかなぁ。
樹液大量にでます。三歳の飲みっぷり(笑)
まぁ、まだ色々と変えていくところはありますが、この辺で!
森の力が必要な時は、里山部へv
里山部にカシ!
しみずです。
番外編です。
その晩、お酒が飲みたくて、せいしゅう君(http://seisyu-labo.com/archives/531)、
リンさん、なこさんと僕で、コンビニを探しました。
二風谷には、コンビニはないんです。
平取温泉で、コンビニはどこにありますかと尋ねたら、「平取にあります」と言われました。二風谷は、平取町なのに(平取町二風谷)?
「平取ってここですよね」と問うと、「ここも平取なのですが・・・二風谷も平取ですが、二風谷は・・・ごにょごにょ」と。
地元では、二風谷と平取町(たぶん役場近郊)は使い分けているのでしょうか。
面白い混乱でした(笑)
んで、コンビニまで8000m、北海道らしい(笑)
ローソンがありました(セコマじゃないのかよ!?)。
ローソンで会計を終えて「先にチセに戻ってるわ!!」って。
初めて言いましたわ、「チセに戻ってるわ」って言葉(笑)謎の特別感(笑)
まぁその温泉にて、誰から言い出したか忘れましたが、「これくらい(写真のテーブルくらい)のサイズなら、1日で作れるんじゃない?チセ」と(笑)
全員アペフチに魅了されていたので、すぐさま「これならイケル!やろう、作ろう」と意気投合しました。シラフです(笑)
「じゃぁ俺ササ大量に刈っておくわ!」
「じゃぁ来週やろうか!?」
という感じで、あっという間に話が決まりました。せいしゅう君とリンさん十勝やで。気軽にこれる距離じゃない。なんだかんだで、この二人とは週1で会っている(笑)
後にこうした小さいサイズの家はチセではなく「カ」「カ(シ)」「カ(ス)」というと中川さんから教わりました。「シ」や「ス」はわずかにしか発音しないので、ほぼほぼ「カ」という言い方になるようです。
前日は自宅に泊まって作戦会議。設計図作り。誰もカシの作り方しらない。ササの束ね方しらない。誰も建築スキルもってない。好奇心だけで組み立てる設計図。
日本語と、英語と、台湾語と、アイヌ語と、様々な語源が飛び交う作戦会議。
僕のぞいた方たち、語学力半端ない方なんです。
大事なのは、アペフチに会いたい気持ち、あの感動を忘れたくない気持ちです。
むかえた当日は朝だけ雪。
事前に刈ったササを集める所と、男性陣は支柱を埋める穴掘りから始まりました。
ササをとってきたは束ねて、木をノコやチェンソーで加工して・・・
ひとつひとつの過程で、未知の領域でした。
何が正解か、わかるはずないんです。
でもなんか、「自然と対峙して向き合い利用する」ということに関しては、これで正解だと思いました。自分たちの知恵で、自然に挑み、あるもの使ってなんとかしようという精神。
突哨山はアイヌの聖地です。
突哨山では、こうした感覚を意識した活動は、何十年?としていなかったと思います。
誰もやっていなかったでしょう。
アイヌがこの森にいたことを感じながら、想いを馳せる時間は。
森から田んぼが見えて、夜には市街地の夜景が見えるこの森は、
もうすでに北海道の原点を、意識しないと見れなくなってしまったのです。
だから、意識せずとも、原点を感じられるように作りたいとも思ってました。
前にも書きましたが、身近な自然でありつつ、当たり前の自然を提供していきたいと。
里山部と繋がった人たちは「自分には、使える森がある」という自信をもっていいんです。地域資源は地域の人たちが、地域で活用するためにあるのですから。だから僕も自分の森をシェアしているんです。みんなで使いましょう、森を。
話がそれました。
9時から始まって16時くらいで、ようやく屋根があがりました。2m四方で一日でできるだろうと甘くみてました。
屋根につかうササの量だけでも半端じゃないです。ほぼほぼ刈ったササが全て使われてササ不足になり、時間もなくなり。結局は、「あずまや」状態のまま終わってしまいました。
でも当初の目的だった。
「どこにいても火にはアペフチがいる」と教わりました。
同時に「アイヌがいるからカムイもいるんだ」ということも。
本当は、薪は使いません。割らない(割れなかった?)で、丸太のまま、枝のまま燃やすのが本当です。
今回はそういうのがなかったので、薪で代用してしまいましたが、ダメです。
出来上がってからは、独自のイナウも立てかけて、1時間くらいアペフチと向き合いました。
また、来春以降、壁つくったり、足りない部分を作り上げていくイベントをやるかもしれません。是非みなさんも。
里山部は、森を通して行動したい人を全力で応援しますし、協力します。
正直、森がバックにあるって、すごいことなんですよ。
僕や里山部の森を使ってください。遠慮せずに。
僕は、地域資源を見直す本質的な活動しかしていきません。
金は二の次、暮らしていける分があれば十分。
どうして旭川から旅立つ若者が多いか。
ここがまだ、現代人には魅力ない街だと思われているからじゃないか。
里山部に来てから、体験してから出ていくか決めていいと思う、若者たち(笑)
自分のやりたい事、ぶつけてやっていきまっしょ!!
森なんて関係ないと思っていると大間違い。全ては森から始まり、いずれも森でつながっている。
僕は戻ってくるのは来春だけど、まだまだ新しい出会い待ってますし、自分からも作っていきます。
ガンガン旭川を森から、面白くするぞ!
ローカル。
マニアック。
エッセンシャル。
フォレスト。
な人との繋がり。
二風谷にて ラスト
しみずです。
ちょっと間が空いちゃいました。スイマセン。
続きです。
絶好調だった昨日とはうってかわって、翌日の樹木は全部が全部、かなりの危険木でした。
何がっていうと、この場所は木が生えている真後ろは住宅地なんです。
そして森と住宅地を挟むフェンスをほぼすべての木の枝や幹が、フェンスを越えて住宅地に傾いているのです。 まぁ、径25cm以下の木なら、なんとでもなります。
しかし、ここらから、伐根直径が40cmを超え、樹高も25mくらいになり、かつ枝葉がほぼ住宅側に突出している状況。
様々な樹木の幹が絡まり、伐る順番も、考える必要があり、途中でこのでかいサイズを伐らざるを得ない状況にでました。
作業スペースが狭い中での伐倒でした。
狭いために北欧式の伐倒ができずに、とりあえず日本式の追いづる切りで行ってみるかと思って、追いづるを伐った瞬間。。。
ギギッ・・・と木がまさかの住宅側に傾き、チェンソーが挟まれたのです。
たぶんヨーロッパアカマツ。初めて対峙した木です。
材質や、枝による重心のバランスを知るのも、初めての木でした。枝は多く住宅側に突き出ていましたが、そんなに重くないだろうと思っていたんです。
久しぶりに冷や汗がでました。このサイズのが住宅地に落ちたら家は倒壊します。
ただ、一応、こうなることを見越して、追いづるの角度を急角度にしたのと、ツルの厚みを通常の2倍以上にしていました(後ろに傾いた際にツルが切れないように)。
見越していたのですが、いざ、真後ろの住宅にこのサイズが傾くと非常に生きた心地がしませんでした(笑)ものすごい頭をフル回転させて、次と次と次の一手を考えて、慎重に作業しました。
しかし、この伐採作業自体、全てにおいてチルホールを活用していたため、クサビ打ち込み傾きを修正するとともに、チルホールを使って住宅地と反対側の広場に向かって無事に倒すことができました。
この成功は、最近、休みに僕の仕事を手伝ってくれる素敵なバディが居たおかげです。焦った時ほど、冷静に状況判断してくれる役が必要です。
最初は、もちろん全くの素人さんでしたが、林業の場に何度も付き合ってくれたおかげで、完全にプロレベルの思考で作業できるようになったバディです。
そうして、チルとクサビを叩きこみながら、無事にやりとげました。
そのあとは、この木の材質を僕がインストールできたので、全部北欧式伐倒で倒せました。
日本式で覚えた伐倒って、ほぼほぼ役に立たないのはなんでか。
ハスクの伐倒本に書いてあるものをベースに、北海道の樹木の材質、形状に合わせたアレンジした伐倒の方が絶対的に安心できます。もう、北海道ならではの伐倒スタイルを定着させていった方がいいですわ。
こうして状況に応じては木に登ってチルホールのワイヤーをかけたりと、
木の強度や重心感覚がわかれば、もう大丈夫です。
小屋横に倒すのも、安心してできました。
バディガールと一緒に、チョウセンゴヨウの木。これでも50年生。
伐倒している間は、伐った木はガンガン皮むき部隊により皮をむかれていきました。
かなり大量に樹皮剥ぎできたようです。
そして、あっという間に日が暮れて チセに戻りました。
チセに戻ると、
今日のワークショップで事故無く、怪我なく終われたことを感謝するため、イナウをアペフチのもとへ送りました。
このイナウは、このワークショップ期間の無事を込められたものでした。
こうして平取の非日常的でありつつ、実は当たり前だったこの自然との付き合い方にどっぷりとひたり。。。
心が迷いなく透き通った気持ちで旭川に帰ることできました。
でも、旭川についたとたんに、この感覚が一瞬で奪われたのです。森以外のモノが邪魔だったんです。
だから平取でこの気持ち、感覚を共有した20,30代の人たちで、この気持ちを忘れないためにも、里山部にもアペフチを呼ぼう!!
というなんとも無謀な計画を、平取温泉でしたのです(笑)
それはどうなったかというと、、、、次回は特別篇、里山部の森にカシを作る!!
本編は終わります。
こちらの活動はNPO法人ハチドリさんが主催する、アイヌの家「チセ」を建てるワークショップ第一弾の内容です。この企画は連続的に開催され、随時参加者を募集しております。